昭和50年04月23日 月次祭



 今朝からの御理解に、神も喜び金光大神も喜び、氏子もの喜びと。そういうおかげを頂かせて頂かなければならんという御理解を頂きました。例えば師匠に習うたことを戻してしもうては師匠は喜ばん。喜ばんだけではない自分も馬鹿らしい。師匠に教えてもうろうたことを覚えておいて、それによって成功をし出世をして「師匠さん、おかげでこのように成功いたしました」と言うて、初めて師匠も喜ぶというわけです。
 それを戻してしもうては、いわば師匠の喜びもなからなければ、自分の喜びもない。そこの所を「神も喜び、金光大神も喜び、氏子も喜びじゃ」と言う様なおかげを頂かせて貰わねばならんという御理解に基づいて、御理解を頂いたんですけれども、改めて思わせて頂くのです。それは合楽に御神縁を頂いて、信心の稽古をミッチリなさっておられる方たちの、一人一人がそういうおかげを、事実頂いておられるという再認識です。改めてそれを感じさせて頂きました。
 というのも昨日の朝の御祈念の後でした。吉井の羽田野さんがお参りになりまして、吉井から合楽へ向うて来る道々「合楽なくば我なし合楽ありて我あり。合楽なくば我なし」これを繰り返し繰り返し心の中に思うて来ましたらどうにもできない感動で、今日はお参りさせて頂きました。改めて二十五年間を振り返えらせて頂いて椛目・合楽を通しておかげを頂いてきておる事に、そして今日の我がある事を、我が一家がある事を思うた時に、確かに「合楽なくば今日の羽田野の家はなかった」という感慨であります。
 その御理解を私は今朝から皆さんに聞いて頂いたんですけれども。もう今日お参りをされておった方達のほとんどが、そのことのお礼でございました。「今日は親先生私一人の、私一家のための御理解でした。思えば思うほどおかげを頂いておる。そして今日おかげを受けておるということがです、どの様に素晴らしい事であったかと言う事を思います」というお礼お届けが、その一人一人のお届けを聞いて「ほんなことね。あの時はあげなこともあった。あんな所をようもようも辛抱し抜かせて頂いた。
 もう本当によう今日まで信心が続いておった。よう辛抱が出来ましたな」と言うて、私も改めてお礼が言いたいような心持ちになりました。神も喜び氏子も喜び、金光大神も喜び、そしてここで言うなら大坪総一郎も、それこそ皆さんにそういうおかげを頂いておって下さる方達に、お礼を申し上げたいほどの喜びであります。皆さんどうぞ胸に手を当てて考えてみてご覧なさいませ。
 今前講に西岡先生がお話をしておられました。私次々御取次致しましてあれはいけませんね。ここでお話があっておるのに、どんどんお取次ここでごちゃごちゃ言うて、だから私は返事をしませんから静かにしておりますけれども、やっぱりお取次をなさる。そうするとやっぱり心が散る。私も頂かんならんけれども頂かれないのです。ですからお話が始まったら、お話を先ず頂かなければいけないと思う。
 ですから所々しか聞こえてこんのですけれども、所々聞こえた中に娘さんが子宮ガンと言われて、おかげを頂きそれがまたぶり返ったのではなかろうかと言う様な不安心配があって、それこそ夜も眠られんように心配焦燥しておられる。それをお父さんの西岡先生が電話でお取次をさせて貰い、そして元気づけさせて頂いて愈々昨日でしたか、今日でしたか病院に行かれる時の腹を決め方「親先生があの時にあぁ言うて頂いたんだから、もうお父さん、例えそれが子宮ガンと宣告をされましても驚きませんと言うて。
 病院に今日行ってそして帰りそれがでなかった「心配はいらん」と言われて、安心のお礼の喜びのお届けが丁度八時五分前にあったと言う所だけが聞こえたんです。そして続いて先生が言っておりますことの中に、人間誰しも追い詰められ追い込まれる時があるんだ。どうしてよいか分からない時があるんだその追い込まれた時にです。ハッキリと右だ左だといういわば御取次を頂いて、そこの所をおかげを頂いて来ておる方達がです今日まで信心を続けておるならば、みんなそのことが言えるのじゃないでしょうか。
 「合楽なくば我なし合楽ありて我あり」である。私は今日朝の御祈念にお参りをして殆どの方が、その事のお礼お届けがありました。原さんがそうでした高芝さんがそうでした。もう本当に皆さん振り返ってみるとです、もしあの時たった一言の事でも、もし間違えておったらそれはですね、信心がなくっても合楽にご縁を頂かなくってもです。それこそどうとかすればどげんかもなりよるとじゃもん。どうとかなっとるのに間違いはないけれどもです、今日の様なおかげに繋がっていないと言う事で御座います。
 思えば思うほど「合楽ありて我あり、合楽なくては我はなかったんだ」という。いうならば感慨というか、有難いという心というか。そういう心が始まって、私は神も喜び金光大神も喜んで下さり、自分自身も本当に合楽に御縁を頂いておったと言う事が有難いと、改めて再認識させて頂いて、そこから新たな信心が生まれてくる。新たな合楽示現活動にも、ひとしお力が入ろうかと思うので御座います。
 どうでしょうか皆さん。あの時もし親先生がおって頂かなかったら、あの時にもし右と思うておった事が、親先生が「左」と仰ったから左を取らせて頂いたおかげで、間違わんで済んだと言う様な意味合いでなら、皆さんもそれを思え言えれる事ではなかろうか。またその実感が皆さんの心の中にも新たに甦って来るのではないでしょうか。でないならば又はそういうおかげをこれから頂いて、合楽あっての我であるという信心の自覚に立たせてもらう時に、初めてこの喜びを自分の独り占めにしておっては相済まん。
 それを多くの人にも伝えて行こうかと言う所に、示現活動が生き生きとしてくるわけでございます。今日もう本当に難儀の今真ん中にあるという方。成程話を聞かして貰っとっても「どうもしょうがなかね」と言うごとある。どう言い様子ももない。もうとにかく、神様におすがりする他ないですよと言いよる他に言いようがない。その事を神様にお願いをさせて頂いておりましたら、白菜をきれいに洗ってそれをお漬物を漬ける時のように、中を一つ切って桶の中に漬け込んでおる所を御心眼に頂いた。
 やっぱどうにもしようない時ですよ。それが漬物として美味しく頂けるまでにはですね、もうバタバタした所で仕方がないのです。お縋りするより他にしようがないのです。いや今こそ信心辛抱の力を、今こそ頂く時だと悟らせてもろうて、そこを辛抱し抜くより以外ないのです。どんなに暗い桶の中であっても、どんなに重たい重石を置かれても、どんなに塩を振られても、それをじっと辛抱していく力を今こそ、頂いておく時だと頂くよりほかにはない。
 そういう御理解を頂かれたら、途端に目が輝きだした、どうしてよいか分からない人が。信心辛抱の力を、今こそ、私ども一家に下さる時であると思わせてもらう時に、その修行か生き生きとしてくる。そういう時に、それこそウロチョロしておったらどう言う事になるだろう。とうとう漬け物にもならんでしまわなければならない訳であります。そういう意味で私は信心の稽古というものがです。
 そりゃ十年二十年、いや二十五年と椛目・合楽を通して、信心の稽古を今日まで続けておられる方ならばです。ようもようもあぁ言う所を言うならば、あそこん所を泣く泣く辛抱しいしいにであるけれども、通り抜けさせて頂いたと。そしてその通り抜けさせて頂いた、その難儀なら難儀の問題が力ともなり、おかげともなっておると言う事実を考えられるだろうと思います。どうでしょうか「合楽ありて我あり。合楽なくば我なし」私はね、私と皆さんの関係というものは。
 そう言う所から、本当なものが生まれて来るんだと思うんです。本当の交流が。昨日朝の御祈念の後でした。高橋さんが御取次を願われる。まぁいろいろ難儀な問題がたくさんある。それは百名からの従業員、ほとんど九州中にお店がいっぺんに増えたというのですから、もういちいち回って回ると言う事も出来ないし。というて神様任せでは、何とはなし心もとないしそれがね、順調にいっとる時には有難いなぁと言う事なんですけれどもね。順調にいってない。あっちにも行ってみなきゃならん。
 こちらにも覗いて見なければならない。体は一つそれこそ一つ心は千々に砕けるという訳であります。まぁ色々と御届けがありましたもう黙って聞いておった。どげん言う様子もないそれで私はこんな話をさせて頂いた。大堰に江戸という所があります。江戸の関です。いわゆる筑後川を堰止めてそして筑後川北野何十丁部何百丁部の水田が、毎年毎年沢山な実りが出来る様になった、その元を作られたのが当時の庄屋さん五名です。その責任者であった総帥を承ったのが、ここの草野の草野又六という人でありました。
 皆川から養子に行かれた方。言うならば大変な大土木工事でございます。どれほどの堰をしても堰をしても押し流される。それに反対側の方からは、それこそ竹や木の切り時があります。草野又六は今が切り時と言われるような、危険な中の工事だったんです。いわゆる命がけの工事、しかもその命がけでなさる、その工事がなんぼう堰をされても、みんな押し流されてしもうて水の泡になってしまう。
 それこそ意気消沈して家に帰って来られておられるのを、そのお母さんが見られて「又六さん後ろの山が見えないか」と言われた。耳納山のことです「この山を持って行けばいいじゃないか」と言われたそうです。それから新たな元気が出てそしてさしもの難工事が進められた。そして何十丁何百丁部の毎年立派な水田が、沢山な収穫が得られるようになったと言うわけでございます。その話をしました。
 所がそれだけじゃつうとんせんごたる。いうならばねまぁ高橋さんとても、今月が何百万か赤字だったとこう言う訳です。あなたほどしの一生懸命の信心をなさり、あなたほどしに一生懸命御用をなさり、だからまちっと信心ばこげんしなさいと、信心ばまちっとしなさいと言いようがない私としては。そこで私は「信心にも度胸が要りますもんね。どん腹すえにゃいけん時がありますもんね」と。
 例えて言うならば「先生、私はどの店を開く時でも、先生のお伺いをさせてもうろうて、とても今の三福では、とても出来そうにないと思ったけれども、親先生あなたがやれと仰ったから私はやったんですよ」と言うわけなんです。「そういう時にも、やっぱり度胸がいりましたが、そういう意味でしょうか」とこう言うのです。私はいうならそれに反発しました。成程例えば宮崎なら宮崎に支店を作ろうと思いますが、こう言う様な風に言うて来ておりますがと言う事はです。
 矢張りお許しを頂いたら、させて頂こうという腹でお伺いをしておるじゃないかと言うことです。何もない所に、高橋さん「宮崎に支店を出しなさい。鹿児島にも出しなさい」と言うたんじゃない。そういう催しが催されて、それが例えば不思議な働きが始まって、そして、「この店をあなた引き受けてはどうですか」という話があるから、それをお伺いをしたと言う事は、お伺いをしてお許しを頂いたら、させて頂こうという気持ちでお伺いをした事じゃないか。またそれを実行に移しただけじゃないか。
 なるほどそういう場合でもです、矢張り度胸がいる事は要りますけれども、お許しを頂いてからの度胸と、私が言う度胸はまた違うのだ。おかげを頂くだけの信心は出来たけれども、お徳を頂く信心というのは、高橋さん。ままよという心にならなければおかげは受けられん。「ままよとは死んでもままよのことぞ。十二分の徳を受けようと思えば、ここにままよという心を出さなければ、十二分の徳は受けられない」と教祖様は教えておられる。そう言う事を日頃頂いておるではないか。
 だから私は今言う、草野又六さんの話をさせて頂いて、後ろには親先生が耳納山じゃなかばってん、おると例えば親先生が後ろにおって頂くからという。例えよしそれが十軒の店が例えば潰れてもよしという、どん腹を据えなければいけないと言う事を言いたかったのですけれども、これは高橋さんのものでなからなきゃならんのですから。私が教えてそう思わせたんではいけない。そういう時にです。
 どん腹を据えさせてもらえれる。そういう時に度胸をつけさせて頂く、日頃の信心の鍛えというものがです、出来とらなければ、その度胸は生まれてこないのです。そこから高橋さんが受けられる力というものは、誰のものでもない、高橋定利さんのものであるということです。そういう時にです例えばね倒れ転びしながらも、泣き泣きでももう辛抱が出来んという時でもです。そこを通り抜けさせて頂けれるおかげを頂いて初めてです、今日皆さんがお礼を言われる。
 本当にあの時はどうしようもなかった。医者にも見放された。あの問題がもし一つ例えば高芝さんの例をとるなら、息子の問題一つを取り上げてもです、もしあれが信心がなかったら、今頃どう言う事になっとっただろうかと言う様な問題が、兄さんと弟さんの上に二回続けて起こった。今度の弟さんの問題なんかは、それこそ支離滅裂と言う事より他ないような問題だ。夫婦の仲だっていわゆる親子の問題だって。それがです親先生の一言で腹を決めた。兄弟が親子が皆集まってそこに決心がついた。
 どうですか翌くる日になったら手のひらを返すようなおかげになってるんですから。今日、親子でお礼に出てきました。嫁後が。親先生この頃から「神様が分かった分かった」と言いよったけれどもね、今度の事で愈々分ったとこういうて、お礼お届けがありました。そう言う所を通り抜かせて頂いての、五年後であり十年後であり、二十五年後である。そこにです、頂いておる所のおかげというものが、それにほんとに合楽なくばこのお道は、こういうふうに開けては来なかっただろうと言う所にです。
 合楽とは切っても切れない仲というものが生まれてくる。そして「合楽なかりせば」であり「もし合楽がなかったら今日の我はない」と言う様な所から、ほんとの意味においての、心の底からの神様への感謝の心を捧げる働きが生まれて来るのじゃないかと思うです。今日その御理解を説かせて頂きましたら何人もの方が、そう言う事を鳥栖の上野さん達親子が参って来ておりました。「先生今日のお話の様な事を昨夜家族中で話しました。私達が○○教会でおかげを頂いてとにかく一軒の二階住まいであった。
 その二階住まいが追い立てられる。お父さんがもうそれこそ血の涙を流さんばかりに残念がった。とにかく当時の椛目に、大変おかげを頂けるげなけんと言うて、お参りをしてきておかげを頂いて、次々とおかげを頂いて来たことを思わしてもらい。子供達が一人一人が広大無辺のおかげを受けておる。長男の勝之さんの嫁が今度弟達がみんな、それこそ抜群のおかげを頂いたわけです。そのおかげを話しながらです「本当に合楽がなかったら、今日の上野家はなかった」と。
 親方嫁後が言う事にです「ここの人達はどうしてこういうおかげを頂くじゃろうか、お父さんあなたもしっかりしなさらなければおかげ頂き負けしますよ」と言うて、長男の勝之さんに言うたという話です。実を言うたら勝之さんだって、今の銀行に勤める時には、絶対銀行には勤められないことになっとったんです。第一家もなか二階住まいぐらいですから。それが不思議な不思議な働きで、銀行に入られるようになってその後、例えばああいう大きなお家に住まわせて貰う様になり。
 家も屋敷も買わせて頂くほどしのおかげになり。昨日その事を兄弟親子で話させて頂いたら、今朝の御理解で改めてです、いかにおかげを受けてきたかと言う事が分かります。昨日から今日にかけて「本当にもし合楽がなかったら」という話をです。佐田さん達一家で、昨日させて頂いた話をなさったんですけれども、そういうお届けを聞かせて頂く時にです。神も喜び金光大神も、それこそ小躍りして喜んで下さるだろう。
 自分自身も「合楽なくば我なし」と言う様な喜びに浸ることが出来るだろう。大坪総一郎もまた、ようもあぁいう時にです、ほんとに腹もあげん喧しゅう怒られてもです、腹も立てんで泣く泣くでも辛抱し抜いて「本当に有難う」と、私はお礼を言いたいようなおかげを皆さん、本当に頂き表わして頂きたい。そして愈々合楽示現活動に本気で参画して頂きたいという願いいわば切でございます。
   どうぞよろしくお願いします。